神奈川県藤沢市城南 東海道線沿線のカウンセリングルーム。辻堂駅より国道一号線方面へ徒歩12分。10:30~21:00、年中無休。


記事のアーカイブ

2017年06月03日 09:12

身体パーツに萌える

フェティッシュ・・・・フェティシスト・・・・○○フェチ、こういったものとはちょっと別の、もっとポップな、これは何と言ったらいいのか、部分対象、性愛の対象となる人に向ける、萌え、そうですね、萌え要素、相手の身体の一部を萌え要素と見なす行為、性愛の対象の身体の一部に萌えるという行為、まず萌えて、そこから侵入してゆくという欲望の流れ。それは、人それぞれ、身体のさまざま部分に向けられるのでしょうが、欲望されるのでしょうが、指先、二の腕、デコルテ、太もも、ふくらはぎ、腹筋、胸板、のどぼとけ、横を向いた時の首筋、まくり上げたワイシャツの袖から見える腕の筋。こういうのはあまりあからさまなのは敬遠されがちなの

—————

2017年05月31日 20:42

ニューロティックな主体

ドイツ語のノイローゼから、より深い精神的不具合の領域まで、一般的には人は誰でも神経症的、普通にしているように見えたとしても、神経症的、ニューロティックであり・・・・・ノイローゼ的、というのは自明なのかもしれません。突き詰めれば、極端に言えば、極北において、カウンセラーなどというものは、ああ、一般論化してしまうと語弊があるので、じゃあ、僕だけに関してはという事にします、はい、すみません、僕だけに関してはと言い直します。僕だけに関して・・・・・内省する自問自答するという事は、間違いなくニューロティックでありノイローゼの領域に片足を、これは常に突っ込んでいる状態でもあり、そんな自分を楽しみながら日々

—————

2017年05月31日 20:20

郵便

毎日強迫的に書き続けているブログ、多分もうルーティンと化しているのでしょうし書かないと気持ち悪いようにも思ってしまう中で、ただ・・・・何故書き続けているのか、その目的は・・・・・・戦略的集客という訳でもなく、悩める人に向けた分かりやすい一言を書く訳でもなく、自分をよく思ってもらいたい訳でもなく、読み手がカウンセラーに求めているであろう気の利いた言葉を提出する訳でもなく、自分が慈愛に満ちた素晴らしい人間であるとアピールする訳でもない。多くのものが、ただ唯物論的に、その時にうっすらと感じている観念様のものを、勢いに任せて言語化し、それを書きつける。自分で過去に書いたものを読み返した時、まずはその時

—————

2017年05月31日 09:15

梅雨の、雨の、切れ間・・・・・

梅雨の、雨の、切れ間・・・・・・雨が上がり、差し込む日差しがあからさまに提示してくる希望ではなく、白い外気の中で一瞬、時を止めたかのような・・・・・・これは、体温の中の微かな芳香、決して表象される事の無い秘めた欲望、いつまでも浸っていたい凪の様な情動、秘められたものを垣間見たくなる衝動、どこまでも延長してゆきたい刹那、最上級の抱擁、遠慮がちに絡み合うハミング・・・・・と言うよりはシニフィアン・・・・・・・・感覚でしかないので、意味がよく分かりませんが、なんとなくこんなイメージ。梅雨の、雨の、切れ間というのは、さまざまな要素が刺激となって、探し求めている何かを徴候させてくれる時があるように思いま

—————

2017年05月28日 08:55

ありのままに認識する・・・・とは?

ありのまま・・・・・・人間は目の前で起きている現象を、ありのままに認識する事が出来るのか。もし、人間がありのままに認識する事が出来るのであれば、それは、その現象を目撃した全ての人が同じ認識をする事が出来るという事になってしまう。でも絶対にそうはならないですね、認識は人それぞれ全く違う。それはその人というフィルターを通じてしか認識できないからなのかもしれない。僕らは、現象を言語によって分節して認識するしかない訳ですし、僕ら一人一人が保有している言語というのは、人それぞれ違うのですし、だいたいが、今までしてきた経験が人それぞれ違うのですから。言語が違えば認識する過程も方法も、そこから導き出される解

—————

2017年05月27日 08:35

男の拠り所

男というのは、どうなのか、そう色々、人それぞれの個性によってなのかもしれないけれど、やっぱり女性なのでしょうか、女性におだてられ、褒められ、優しくされ、そんな中でその女性の存在が自分の居場所になって、その居場所というのは、なるべくならホッとできる場所で、その場所を大切に思う中で力が湧き上がってもきて、自分の力でその場所を引っ張ってゆく、その女性という場所を引っ張ってゆく、とまあ、こんなふうにありたいのか、こんなふうにできるのが理想なのか、もしくは実際に間違いなくそう在る人もいるのかもしれないですが、これが確信出来ているというのも幸せな事。この構造がある一方、未だにこれは機能しているのかどうか、

—————

2017年05月25日 22:03

しゃべるの苦手な人

僕らの文脈において、という事でもいいのですが。「うーん、上手く言えないんですけど・・・・・・なんて言うか、えーと、なんて言ったらいいのかな・・・・・・」自分の事なんか上手く言えなくて当たり前、誰だってそんなに常に自問自答して内省を欠かさずにいる訳ではないのだし、仮に自問自答して自分なりに得た答えを、まずは話したとしても、その奥にはまだ言葉にした事の無い観念様のものがうっすらと渦を巻いていたりする訳だし、それをまたあらためて言葉にしようと思ったら、かなり苦労もする。他人の事は説明しやすいですよ、言葉にしやすい、見えている部分についてのみ語ればいいのですから、あとはそう、自分が想像して語ればいい「

—————

2017年05月23日 09:04

自分が無になる感覚

自らというのは、身体なのか精神なのか・・・・・・・生暖かい外気が自らに触れた時、意識を透過して刺激される遠い一点から呼応してくる、誰のものとも判断がつかないような、あまりにもあやふやな観念。細部を意識によって観察しようとすれば消え入りそうになり、それでも目を凝らし続け何かを掴みかけたと思った矢先に形を変え・・・・・そもそも、そのものには具体性などというものがあるのか、何もない場所に映し出した幻想なのか、しかしその呼応してくる場所こそが自らの核であるかのようにも思え。自らの核というのは、空虚でしかないという悪い予感から目を背けつつ・・・・・・自らというのは身体でも精神でもなく抱え込んだ空虚、そし

—————

2017年05月22日 08:29

恐怖症・・・・・・

別に僕は○○恐怖症と言われるようなものは持っていないとは思うのですが、高所、閉所、先端、虫、そういうようなものはないのですが。どうしても一つだけ、その時の心持ち次第では、その言葉を聞いた瞬間にゾッとしてしまうというか、嫌悪が芽生えてしまうとか、鳥肌が立つというか。「汁」という言葉・・・・・・・しる・・・・・・・いかんいかん、やっぱり想像すると、鳥肌が立つ。ラーメン屋さんとかでよく「ああ、美味かった、汁まで全部飲んじゃったよ」とか・・・・・・こういう時はすかさず「おいおい、頼むからスープって言ってくれよ、見ろよこの鳥肌」みたいな事もある。ソバをつける・・・・汁とか、料理から滴る・・・・汁とか、あ

—————

2017年05月21日 22:17

心≒無意識

心、こころ、ココロ、神秘主義から遠く離れたところで、現実的な「心」というものについて想いを巡らせてみる、そうすると・・・・・・なにも浮かんでこない、心と言うのはとことん神秘に親和性のあるものなのか。かけがえのないもの、自分にとって一番大切なもの、傷ついたり満たされたりするもの、暖かくなったり寒くなったりするもの、なのだろうけど、目に見えないもの、であればやはり神秘の文脈で語るより他にないのか。勇気が湧いてくる場所、アツくなる場所、満たされる場所、しかし目には見えない場所、それは、無意識が一番近いのか、無意識も目に見えないし、というか意識が届かない場所だからこその無意識なのだろうし、そしてこれも

—————