神奈川県藤沢市城南 東海道線沿線のカウンセリングルーム。辻堂駅より国道一号線方面へ徒歩12分。10:30~21:00、年中無休。


記事のアーカイブ

2017年05月20日 08:23

思考の延長線上

多くの事柄が、通常の思考の延長線上にある、全然異質ではないという事実。例えばいつの頃からか、他人が素手で握ったおにぎりを食べる事が出来なくなったとして。「神経質なんだよ」とか「はっ、意味わかんないしっ」とか「なに言っちゃってんの」とか、そんなような言葉を、異質な他者を見るような目を向けられながら、なけかけられる場合だってあるのかもしれません。でも、よーく考えてみた時・・・・・・人が素手で握ったおにぎりを食す事と、白米を茶碗によそって、その上にちょこっと鮭フレークとか梅干しとかのせて、その上から少量の塩をパラパラふりかけ「いただきまーす」と言ってゴハンを箸で食べながら他人の手の平を舐め続ける事、

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2017年05月19日 09:03

溢れている

もし戻ってやり直すことができるのなら、何歳くらいに戻りたいか?どうなんですかね、やり直したいと思うには、今までの自分の歩みに後悔がなくてはいけないのか、あの時、あっちを選択していたらとか、もっとこうしていたらとか。学生時代には戻りたくない、そこに戻るという事はたぶん、もっと勉強していれば、学校の成績をアップさせておけば、いい高校いい大学いい会社、という流れになって、頑張って勉強しなくてはいけなくて、ちょっとしんどい。というか何歳に戻ったとしても、それは今の後悔をもとにして戻るのだから、戻った瞬間から頑張らなくてはいけない、頑張りたいと思って戻るのなら別でしょうが、頑張る事ってやっぱり、しんどい

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2017年05月18日 09:08

話の結末

いつも文章の書き始めには、何を書こうかという事は思っていません。ただうっすらと頭に浮かんでいて、なんとなく気になっている観念をただ思いつくままに書いている、で、途中で流れがどんどん変わって、流れが変わった中で何らかの結論というより、結末を迎える、だから独語的文章が多いのかなと思います、ちょっとスキゾっぽい書き方でもあるのかもしれないですけど。思考の流れ的なものなので、説明が全くなっていなくて、後日読み返してみると非常に分かり辛い、その時の文脈をまずは思い返さないといけない。まあ、それはいいです、そして結末を迎えた時「ああ、こんな考えもあるのかな・・・・・」と、ちょっとした何かを発見する。書く時

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2017年05月17日 21:31

自分らしさとは

僕らが、誤作動するという事はどういう事なのか。僕らが日々を送っている環境には、社会には、規律のようなものが当然あって、社会に参入するという事は、その規律に従った上で参入するという事。そうですね・・・・今の時代は規律などという大袈裟なものではなくて、空気、規律というのは空気のように社会全体を、人それぞれの環境を、取り巻いている。ならば、その規律や空気に従う事ができる事が、参入して作動するための条件であって、資格という事なのでしょうか。抵抗なく規律を受け入れ作動する事が出来るのが、人間の理想的モデル・・・・・・なの?その理想的モデルそのままの人間というのは本当に存在しているのかもしれないですし、も

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2017年05月16日 09:02

言葉を蓄える

「自分は自分」と思えているという事は、それは、人に左右される事はないという事、人のいい意見は取り入れるにしても、人の言動に揺り動かされる事はない、関わる全ての人から受け入れられる必要はない、承認される必要もない。そういう状態の中では、信じるという概念は、それ程必要ではないようにも思います。人から言葉を投げかけられて、その言葉に左右され、揺り動かせられ、信じるのか、信じないのか、裏切られて傷つくのか、そういう心配は自分の芯がしっかりしていて、自分は自分と思えていれば。逆に言えば、人に左右されたくない時に、自分は自分と思うという事もあるのかもしれないですけど。そんな中では、関わる人が自然と二つに分

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2017年05月14日 09:21

強いストレスがもたらすもの

ADHD、アスペ、ボーダー、非定型うつ、双極性、記憶障害・・・・・・・。強いストレス下で、調子を崩した時やイライラが収まらない時やミスが非常に多くなったように感じた時、落ち込みや緊張不安の中でネット上のチェックリストを使用して今の自分の状態を確認してみると、かなりの確率で、なんらかに当てはまっているように感じてしまうというのは、よくある事。強いストレス下では、様々な心性が前衛化してきますからね、これは誰だってそうなのだと思いますし、そのチェックリストに従って自分をラベリングしてしまう必要はない、どんどん不安ばかりが募ってもしまいますし。逆に考えれば、そういった心性が表れざるをえないくらいの大き

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2017年05月07日 08:23

多数派の中の少数派

多数派の中にも、本当は少数派と同じ想いを抱いている人もいる。その、少数派と同じ思いをいだきながらも多数派であり続けている人にしてみると「あんな風に自分の想いに正直でいられるのは勇気がある」と少数派の人に対して思うのかもしれない。逆に、少数派の人にしてみると「自分を抑えてまで人に合わせられる人というのは、強い人」と多数派の人に対して思うのかもしれない。お互いに口には出さないまでも、そう思っているのかもしれない。もしかしたら、どこで生きるのかという選択の違いでしかない場合も、勿論すべてがそうと言う訳ではなく、そういう場合が全く無いという事はない、という程度の話ですけど。

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2017年05月05日 22:18

甘えていいんですよ? 頼っていいんですよ?

「もっと人を頼ってもいいんですよ」とか「辛い時は弱音を吐いて、甘えたっていいんですよ」とか言われても、みんながみんな「はいそうですか、じゃあ、お言葉に甘えて」と思える訳ではない。特に、常に自分が頼られて、甘えられて、関係性が理不尽に逆転した中で育ってきた人にとっては。親が子に依存する、その依存の仕方はほんと、色々なパターンがありますね、自分の思うままに操作するという依存の仕方、自分の感情を処理する道具にするという依存の仕方、自分の中に芽生えた心配や不安を暴力的に押し付け何度もしつこく確認する中で自分の不安を解消しようとするという依存の仕方、自分の勝手な満足の為に時には教育という名目において何か

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2017年05月05日 08:47

一歩踏み出す時の勢い

うっすらとした目標も見えていなくもなくて、新たな行動を起こした方がいい事は自分でも分かっているのだけれど、なかなか一歩が踏み出せないというジレンマ・・・・・・誰かにケツを蹴り飛ばしてもらった方がいいのか・・・・・でもそれだと自分のタイミングではなくなってしまうし、なるべくなら自力で踏み出したい。時間が経てば経つほど頭で考え過ぎてしまって、踏み出せなくなってしまう、というか踏み出した方がいい、という想いが徐々に薄れていってもしまう。自分の身近な人でも、なんとなく信頼できる人でも、なんでもいいですから、そういう人を捕まえて。自分の今までの実績とか、自分はこんなに凄いとか、自慢をまくし立てて、それを

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2017年04月30日 08:51

「幸せ」という才能

昨日は迂闊にも・・・・・と言ってはいけないのでしょうが、でもやっぱり迂闊にも、ほろっとしてしまいそうになりました。一昨日の夕方、ご近所の、母と同年代の方が、あれは多分、遊びに来ていてという事なのだと思いますが、一階のリビングでお茶を飲みながら母と、世間話なのか内輪の話なのか、かなり楽しそうに盛り上がって二人で大笑いしているのを、僕はお客さんが来るのを玄関で待ちながら、なんとなく「声でけー」と思いながら聞いていました、多分二人で3~4時間位そうやって盛り上がっていたんじゃないでしょうか。その時に、その方が読んだ何らかの本の内容に話が及んだからなのだと思いますが、昨日の午前中、母は留守にしていて僕

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