神奈川県藤沢市城南 東海道線沿線のカウンセリングルーム。辻堂駅より国道一号線方面へ徒歩12分。10:30~21:00、年中無休。


記事のアーカイブ

2017年04月27日 08:46

職業の選択

缶コーヒーのCMでありますね、職人さんと会社員の方が少し離れたベンチに並んで座っていて、お互いの仕事をもし自分がやったら・・・・・・と想像を巡らせてみる、という。世の中には多種多様な職業があって、その中から自分はこの仕事がやりたいと考えて、なりたい自分、的な積極的選択をして掴み取る、という流れがもしかしたら理想的なのかもしれないですけれど、というかそれは絵に描いた、と言ってしまってはいけないのかもしれませんが、単なる職業選択時の一つのモデルでしかないという場合も、現実的には多い。実際に数種類の職業に転職を繰り返した後にでもいいのでしょうし、そうではなく、自分がその仕事をやってみたら、と想像を巡

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2017年04月26日 20:44

流れるプールのような日常

もし、何日か続けて休みが取れるのであれば、自分を、仕事を、日常を、客観視してみるのもいいのでしょうね。仕事等に追い立てられ、自らがどっぷり浸かりきるしかない日常、勿論、そうでなければ日々のやるべき事をこなしきれないのですから、それはいたしかたのない事。これは言ってみれば、流れるプール、それもかなりの速度で流れているプールの水の中に、自ら積極的に没入してゆくようなイメージでもあるとは思うのですが、流れてゆくのに精一杯で、呼吸を繰り返す事だけで精一杯で、周囲に、自分自身に、想いを向ける余裕はない状態。数日間休みが取れるという事、それは日常の大部分を占める仕事というものを離れて、やるべき事に追われず

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2017年04月26日 08:33

笑い合える事

日々、楽しいのがいいか、つまらないのがいいか、というと、勿論楽しい方がいい。何をすれば楽しいのか?・・・・・当たり前ですけど、ものすごく単純に、そして突き詰めて言えば、笑っていられれば楽しい。一人でいて、笑っていられるのかというと、思い出し笑いとか、妄想してニタニタするという事はできたとしても、やはり愉快に笑うには、人が必要、自分以外の他者が必要。共有して笑い合っていられれば、それは間違いなく楽しいのですね、最低でも、その笑った瞬間からしばらくの間は間違いなく楽しい。いくら一人でいるのが好きと言おうが、なんと言おうが、心底笑い合っていられる事の方が、楽しい。一人でいるのが「好き」という事と「楽

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2017年04月21日 21:35

マナー 作法 粋

辻堂と座間を行き来する中で、これはそう、海に近い場所の方が圧倒的に開放感があるのですが、とりあえずこの事実は置いといて。時間に余裕がある時はついつい海老名のイオンを経由してしまう、イオンの一階にタバコの専門店があって、なんかどうなのかな、なんとなく全ての銘柄が揃っているような印象があるのですが、たまに若いお兄ちゃんとかが熱心に外国製の珍しいタバコに魅入っていたりもします。僕がいつもそこで買わせてもらうのは、ジャルム...

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2017年04月21日 21:33

現状維持≒衰退

経営者、個人事業主、営業職、そういう方々にはお分かりいただけると思うのですが。現状を維持しようとする時というのは、今の取引先とだけじっくり付き合っていればいい訳ではないですよね、そんな事をすれば、一つ欠け、二つ欠け・・・・・じり貧になるしかない、だから現状を維持しようと思った時には、それなりにバランスを取りながらも、攻めなくてはいけない、守ろうとする態度は衰退にしかつながらない。これは経済活動についての言及ですが、なにもこういう構図というのは経済活動にしか当てはまらない訳ではない。「自分が今持っているものに感謝しながら生きる、今持っているものを大切にしながら満足しつつ生きる」というような言説。

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2017年04月20日 21:26

生にしがみついている自分

「なぜ生きるのか」などという疑問を、ポエム的言説から距離を置いた中で突き詰めてみるに、あくまでも自分に関してはという事でしかないですが、結局は、死ぬのが怖いから生きる、生にしがみついている。ただそれだけであるようにも思います、他の人はどうなのか分かりませんが。万が一、生きる事に終止符が打たれるという事態が、自分が産まれる以前の状態に戻るというだけの事なのだとしたなら、と想像してみると、それはやはり、認めたくはないけれど、怖い。唯一の真実というのがあるのだとしても、でもそれは生きている誰にも知り得ない事だし、ましてそんな事について考えを巡らすのは人間だけな訳で、それはやはり複雑な思考がありますか

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2017年04月20日 08:40

本当に「悪いのは自分」なのか・・・・

逃げ出せない環境の中で、独特の価値観に基づいて論理的に責め立てられ続ける。逃げ出せない環境とは、職場もそうなのかもしれませんし、家族もそうなのかもしれませんし、友人関係や恋愛関係の中でもそうなのかもしれません。逃げ出せない環境であると思い込まされている場合もあると思うのですが、そう思わされてしまえば、それは逃げ出せない環境として成立してしまうし、そこには思い込まされているのだという自覚は殆どない、多少の違和感はあるにしても。独特の価値観というのは、それを声高に主張するものを正当化する為だけの、そして力関係を構築して相手を操作する為だけの、第三者から見た時には、非常に無理のある、穴だらけな、なに

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2017年04月19日 22:58

エネルギーの枯渇

オチる、凹む、病む、メランコリック・・・・・・表現は様々にありますが、階層になっているというか、明確にという事ではないですけれど、領域がありますね、これは誰もが実感するところだと思いますが、どの程度エネルギーが枯渇しているか、自己愛が傷ついているか、という違いなのでしょうけれど。全く動けない、それは身体的にも精神的にも機能が停止してしまったかのような、体にはいっさい力は入らないし、思考などという事には意識すら行かない領域。全てを悲観してしまうしかない、悲しみや無力感に浸り切ってしまう領域。自分に対してのもどかしさや苛立ちや怒り、又は人に対しての怒りがふつふつと湧き上がってくる領域。ペシミズムや

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2017年04月15日 17:50

媚びない、という魅力。

最近時々脳裏をよぎる、まだ自分の中で消化できていない薄っすらした考えの一つに、まだ全然霧が晴れていない事の一つに「顔つき」というのがあって。何が気にかかって、何が自分の中でひっかかっているのかすら、まだ定かではないのですが・・・・・・・じゃあ、書くなって話なんですけど。顔、個人を特定する記号としての顔、表情、思考や意識や情動の変化や無意識が滲み出す身体パーツとしての顔、固有特有のもの。できればそこにはインパクトがあった方がいいのか、その人が滲み出していた方がいいのか、それは何かを滲みだしながら常に眼差される準備を、認識特定される準備を怠らずに在るべきなのか、もしくはそんな事は一切意に介さずに全

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2017年04月14日 08:48

精神分析的 古典的 エディプスの呪縛

成長段階で、自分は万能ではない事を、身をもって教え込まれる事、思い知らされる事、というのは多分大切な事なのだとは思います。それは自分が大人になって自立した後、自分自身で様々な選択や挑戦を繰り返す上でも役に立つ。やはり万能感が無鉄砲に変質してしまっては破滅してしまう可能性だってあるのでしょうから。自分に対して、万能ではない事実を思い知らせる役割を果たすのは、それはやはり自分より大きな力を持った大人であったり、年長のものであったりするのでしょう、通常は身近な大人ですね。そこであまりにも強く思い知らされ過ぎてしまうのは、逆らいようの無い位にまで思い知らされ続けてしまうのは、どうなのかな、よくないよう

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