神奈川県藤沢市城南 東海道線沿線のカウンセリングルーム。辻堂駅より国道一号線方面へ徒歩12分。10:30~21:00、年中無休。


記事のアーカイブ

2017年04月14日 08:47

若者の魅力

若者の魅力とは、という事について、既に若者ではなくなってしまったかもしれなくなって、割と長い時間が経過した僕らが考えてみるに・・・・・。青春とか、純真とか、無垢とか、反抗とか、そういった眩しさを表現する言葉ではなく、やはり一番の魅力というのは、物怖じしない態度であったり、まどろっこしさを排除した中での直線的な物言いであったり、そういった部分に非常に大きな魅力を感じます。既に若者ではなくなって久しい僕らは、若者のそのような言動を目撃した時、一瞬で時間が巻き戻る、一気に自分が若者であった頃の心性に引き戻される・・・・・・それはワクワクする瞬間でもあり、自身の次の一歩を諦めない勇気が湧き上がってくる

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2017年04月13日 08:48

空っぽな自分

自己同一性、これはそのままアイデンティティという言葉に置き換えてもいいのですけれど、自分が、その自己同一性と言われるもののもとで日々を過ごしているのかと言うと、決してそんな事はないように思います。意味合いとしては、一般的に流通しているポップなアイデンティティでもいいですし、人それぞれ脳裏にうっすらと浮かぶような観念的なアイデンティティでもいいのですが・・・・・・と言うのも、僕は自分自身のアイデンティティというものに、その程度の思い入れしか持っていないので・・・・人様は別ですよ、考え方は人それぞれですし、アイデンティティは大切であると思うのであれば、その方にとってアイデンティティは大切なものにな

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2017年04月12日 08:45

コンピュータ VS 人間

囲碁や将棋の世界で時々聞きます、コンピュータ VS...

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2017年04月10日 09:18

倫理は後からついてくる

自分たちを取り巻く社会の変化とか文化的な変容とか価値観の転回とか。そういうものを受け入れるとかどうとか、そんな事以前に大切なのは、実際に自分たちの目の前で起こっている事実からは目を逸らさない、という事なのですね。以前には存在しなかった、それはもしかしたら思いもよらないシステムだったりツールだったり思考の形態や価値観だったり。環境の中から自然発生的に、必要に応じて、という場合だってありますね。そういった新たなものを苛立ちと共に敵視している中で何か問題が起こる・・・・・・そうなると「だからそういうのはダメなんだよ、本来人間というのは・・・・・」というような話にもなってくる、新たに生成・創造されて、

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2017年04月09日 19:49

感情というウイルス

一つの事に集中して目の前の業務を確実に遂行しようと、いくら心掛けたとしても、今の世の中、少ない人数で効率を追及し、より多くの業務をこなし続けていかなければならない職種や会社の状況というのも実際にはあるのでしょうから、これはなかなか難しい事である場合も、ないことはないのですね、ジックリ取り組んでいるとチンタラやっていると思われてしまったりとかも。。否応なくマルチタスクでこなしつづけなければならない、そうしないと追いつかないという事もある。マルチタスク、この時に排除しなくてはならないのは、コンピュータがそうであるように、感情。環境から自分が切り離され一つの事に集中するというフローではなくて、様々な

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2017年04月08日 09:44

スペックを競う

小奇麗な男性が増えて、優しさに価値が与えられて、なんとなく「男性とは」的な在り方というものが、時代と共に変わってきているようでいて、でも、細部を観察してみると、あまり変わっていないように思う・・・・・・昔も今もあまり変わっていないように思う。と言うか、社会の成熟に伴って価値を判断する時の基準が増えてきて、厳しくなっているのかもしれない、だから昔から存在する基準にプラスして、小奇麗とか清潔とか母性的な優しさや共感能力、他にももっともっとあるのでしょうが、男性を判断する基準が増えている、まあ、いい事なのかもしれないですけど。昔から存在する基準の筆頭というのは、どうなんだろう、能力、実績、社会的な力

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2017年04月07日 08:59

最も身近な他人

他人に大きな気配りを欠かさない人・・・・・・一緒にいる人は楽ですね、気分いいんじゃないでしょうか。本人は気を配り過ぎて疲れてしまう事もあるでしょうが。でも、もしその心性がその人の割と深い部分に根ざしたものなのだとしたら「気を配り過ぎるのをやめましょう」と提言したところで、他人に気配りをしないという事がストレスにもなってしまう。だから本当は、他人に気配りを「欠かさない人」ではなく、気配りを「欠かせない人」という事なのかもしれません、それは時として、自分がすり減り続ける位に過剰に。気を配れば疲れてしまうから、気を配らないようにしましょう、と言っても、気を配る事がその人の今の心性であるのならば、それ

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2017年04月06日 08:34

生の無駄使いなのか・・・・

犬や猫というのも、かなりの癒し効果がありますね・・・・・・一緒に遊べますし、なにか意思の疎通ができるようにも感じますし。そういったペットというのも勿論いいのでしょうが、あの、水槽の中の生き物、魚や両生類というのも、癒し効果があるように思えます・・・・・人間の生活環境からかけ離れた存在であるほどいいような気もしますが。鳴き声はしないですし、静かに優雅に水槽の中で存在しているのを時間の経つのを忘れてボーッと眺める。人間社会とは別の領野で、純粋な生命でしかないものが「ただ、生き続けている」僕らはそこに立ち入る事は決してできないのでしょうから、ただ在りのままの生命活動を眺めさせてもらうだけ。彼らは、当

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2017年04月02日 20:28

言語の戯れ

言語によってなされる、人それぞれの思考。言語があるからこそ思考できるのでしょうし、それなしには思考しようがない、思考がなければ辛くなる事もないのかもしれないけれど。言語を排除した中で生きてゆけるのかと言うと、これは難しい事、思考を欠いた中で本能で生きるしかなくなる、それは退化した本能を呼び覚ます手続きも必要になってくるのでしょうけれど、それで生き延びられるとも思えない。思考とは、言語の戯れでしかないように思えてしまう時もあります。言語の容れ物でしかない僕ら、身を守る為、生き延びるためには、言語を受容し続けるしかない僕ら。生きるという事は、言語の戯れに耐え続けるという事。そしてそれは辛い時もあり

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2017年04月02日 09:12

到達不可能

あれは、30代の後半の頃だったのかな、当時の事、自分ではよく覚えていないのですが、目標があって・・・・・それは今振り返って考えれば「ある程度の、身の丈に合った目標」でしかないようにも思える目標なのですが。それに向かって夢中になっているうちに、何故かその目標が達成できてしまった。当時の自分としては、それまでの人生の中で初めて出来たリスクを伴った大きな目標で、それを達成する事だけが自分の生きている意味、自分が存在している意味はその一点に集約される、それは紆余曲折の中で初めて見出した大きな目標であるように思え。それが達成できてしまったという事は、目標達成の充実感ということ以上に、逆に考えれば、自分の

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