記事のアーカイブ
2016年09月22日 09:39
実さん 茂さん 清さん 和子さん 幸子さん 洋子さん日本人に多い名前だそうですが、年代によっても違うのでしょうね。上記の名前とは全く関係ありませんが。誰でも、当たり前のように名前というのもを持っていて、それは自分が産まれた時に親や身近な人がつけてくれたもので。多くの場合、というか殆どの場合、その名前を考えた人というのは、その瞬間には、純粋な想いに基づいていたのでしょう。この名前のように○○な人になって欲しいという、純粋な想い。その純粋な想いの中で育て続けられるのが、もしかしたら理想的なのかもしれませんが、やっぱり育てる方も人間ですからね、名付けの瞬間から時間の経過と共に、別に当初の名付けの想い
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2016年09月20日 09:09
やっぱりちょっと、昨日もそうだったけれど、寒いような気がします。夏は終わったんですかね、これでまた数日後から暑くなったりしたらバテそうですけど。しかし、あのヒガンバナというのは、毎年今の時期ピッタリに咲きますね、ほんと、感心してしまいます。あれを見ると、ちょっとだけ、薄ら寂しくも感じるような気もしますが・・・・・・なんとなく、夏の終わりのサインのようにも思えて。普段、プライドと共に自らを律し、人に甘えないで一人で気を張っている人は、ちょっとだけ、心の奥の方でじっとしている自分を出して甘えてみるのもいいのかもしれないですよ、というか絶対いいと思います、ホッとしてとても暖かくなったように感じるんじ
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2016年09月18日 20:03
僕らは、人から要求された瞬間に、その要求に応えようと、それはたぶん無意識的にという事なのかもしれないですけれど、要求に応えなければいけないと思い込んでしまう、だからこれは要求に応える義務があるように感じてしまう、という事なのだと思うのですが。こういうのは閉鎖された空間で特に起こりやすい現象で、それはカウンセリングの領野においても同じ。「どのようなお悩みが?...
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2016年09月18日 09:01
共感が可能なのは、お互いに言葉を持っているから。言葉によってコミュニケーションを取る中で、僕らは共感し合うのでしょうからねーー厳密に言えば言葉が不足している部分めがけてという事なのだと思うのですがーー。その効果として、お互いを尊重し合う想いが芽生えたり、敬意を表したり、自立した個としての関係が生まれる。言葉が通じるから理解し合う事ができるのですね。逆に考えれば、言葉が通じないものには共感のしようがない、理解しようがないですから、そこにはリスペクトは生じないですね。では、言葉が通じないものにはどういう感情を抱くのか?乳幼児、ペット、ぬいぐるみ・・・・・もちろん言葉は通じない訳ですが・・・・・抱く
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2016年09月17日 09:01
科学的な世界では、というか今の時代は当たり前のように科学的な世界という事なのでしょうが。新たなものや現象を発見した学者さんが、そのものや現象に名前を付けたりもしますね。そんな事に話しが及んだ時「あら、人の名前って?」みたいな、余計な事を考えてしまったのですが。通常、名前を名乗る時って、誰でもなんの疑問も持たずに、当然自分の名前を名乗る訳ですが、考えてみればこのなんの疑問も抱かずに名乗っている名前というのは、自分で一生懸命考えて自分で自分に名前を付けてどこかに登録した訳ではなくて、自分を発見した人?第一発見者?まあ、親であったり、親族であったり、そういう人達が、名前を付けてくれる・・・・・・とい
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2016年09月16日 08:57
目標などというものは、理性に基づいて思考してノートに書き出して、その目標達成の為には日々どうやって行動してゆくか・・・・・・みたいな流れで定めるべきものなのか、まあ、何かやりたいことがあるのだったら、そんなものを書き出したりしなくても、そこに向かってゆくのだろうし。でも、そうしないと目標を定める事ってできないのは、分かりきっているのですが。何故か「目標」というものに作為性を感じて違和感を抱かないでもないです、この言葉が嫌いなのかな?そうだ、これは大昔に営業の仕事をしていたから、だから余計に嫌悪感があるのか、目標=ノルマ、みたいな。目標というのは、押し付けられたり人の顔色見ながら定めたりするもの
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2016年09月14日 17:31
有意義に時間を過ごすというのは、よく言われますけれど、考えてみるとなかなか難しいような、どうしたらいいのかちょっと迷ってしまうような気もします。「有意義に時間を過ごしなさい」と言われると、なにか突き放されたようにも感じて寂しくも、多分自発的に?自分で考えて自分で楽しみなさい、と言われているように感じてしまうのかな、とも思いますが。やりたいことに夢中になっている時というのは、勿論それは有意義な時間を過ごしているという事になるのでしょう。生きてゆく為にお金を稼ぐ、これは人生の中の多くの時間を費やす、仕事をするという事になるのでしょうが、その仕事自体が自分の本当にやりりたいことで、仕事をする事が楽し
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2016年09月12日 21:57
自分を大きく見せようとしないという事は、等身大の自分を受け入れるという事につながって、それは今の自分を認めるという事で。大きく見せようとしていない、等身大の自分で人に接しているうちに「ああ、これが自分なんだ」・・・・・・自分に対する理解も深まって、自然と自己肯定感が芽生える。自己肯定感のもとで行動・発言していると、それは一本筋の通った、適切な自信を携えた人であると周りの人達から認識され、その認識を向けられる事で自分に自信がついてくる。自分を大きく見せようとしない事が、まわりまわって自分に自信を持つ事につながる、という事をお客さんから教わりました。ちょっと、忘れないうちに書いておこうと思いまして
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2016年09月11日 09:03
昨日なぜか大昔に見たアニメ「ヤマトよ永遠に」が話題にのぼりました。で、その永遠という言葉がちょっと引っかかっていまして・・・・・・・。永遠というのは、死が無いという事なのか。じゃあ、死が無いという事は、生という概念も必要無いのか?必要ないよね、ずーっと生きてるのが当たり前で、死なないんだったら、そもそも生きるとか言わないんだろうし、そういう現象がなければ生とか死とか名付けようがないし認識しようがない、あ、生まれる、も必要ないの? なんか気が付いたらいつの間にか存在してる感じ? でもそれって自分の起源について考えが及んだ時、なんか思いっ切り不安に苛まれそうな「わしゃ、どこから来たんじゃ」とか・・
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2016年09月09日 09:27
自分なりの価値観というのは、成長や経験に伴って徐々に構築されてゆくのが、いいのか。自分なりの価値観を構築する(もしくは自然と構築される)には、まずは、一旦は社会に流通している一般的な価値観・作法・常識と言われるものを、これは・・・すべて受け入れた方がいいという事ではなく、そこには根拠や意味のないように思えるものも含まれているのだろうから、だから受け入れてそれに従うべき、という事ではなく、まず一旦は、社会の多くの人はこういった価値観に基づいて生きているという事を了解する? まではいかなくても、とりあえずは呑み込む、というイメージなのか、そうですね、呑み込んだ後に、徐々に了解に至れるのであれば、了
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