記事のアーカイブ
2016年08月26日 09:11
いつか将来、ヒューマノイドがどの程度、人間とのコミュニケーション・・・・というか、人間が確かに自分はこの目の前にいるヒューマノイドとコミュニケーションをとっている、と錯覚する事が出来るようになるのか・・・・これがある程度可能になったら、そして人間一人につきお世話係として一体づつとかになったら。人間同士の場合、共感や感情移入というのは、それぞれの人が辿ってきた歴史や経験、外傷体験(トラウマ)に対してなされる場合が多いのでしょう、そしてそれはお互いを大切に扱う態度にもつながります。自分の所有するヒューマノイドを粗末に扱わないで、大切に扱う為には?人間側にしてみると、ヒューマノイドは語るべき過去とい
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2016年08月25日 09:21
不気味の谷現象とはロボット工学の文脈で語られるのですかね。ロボットの外観や動作が、より人間らしくなるに従い、好意的、共感的になってゆくのだけれど、ある時点で突然強い嫌悪感が芽生える・・・・みたいな話。でも、ヒューマノイドはどんどん進化しているのでしょうし、実際に対峙するとどうなのか分かりませんが、なんとなくですけど、画像で見る限りあまりにもリアルなものは、なんか不気味を通り越して、ちょっと倒錯して完璧な美であると感じてしまうといような場合が無いとは言い切れず、でも、もしかしたらそれこそが不気味という事なのかもしれませんが。僕らは簡単に倒錯しますしね、それを楽しもうとする土壌なんかもあるのでしょ
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2016年08月24日 08:47
怒りを溜め込むのは、それは人には言えないような内容だから、と言う場合も多いですね。誰にも言わないで、我慢して溜め込んで、自分の中で怒りを循環させているうちにどんどん大きくなってきてもしまいます。「みんなお互いさま、どんな事でも気軽に言い合える仲間を持ちましょう」とも言われますけどね、友達関係を続けたいからこそ言えない事というのも、実際にありますしね。気にしないようにというのも無理な話で、だから我慢して口に出さないで一人で循環させるしかないのだけれど、そうしているうちに、その怒りやその怒りの感情の元になった経験や対象は、逆説的な道をたどって、どんどん特別な経験、特別な怒りに、秘めた怒りになってゆ
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2016年08月22日 09:03
大きなキャンバス一面に緻密に描かれた風景画、といいますか風景画って多くの場合そうやって書かれるのでしょうけど。これは描き手が現前の風景にフレームを設定して、その風景を切り出して、一つ一つの対象(風景)に注意深く視点を移動させながら緻密に描いてゆく、という事になるのですかね。でも、自分が実際にその描き手と同じ場所に立って、同じ風景を肉眼で見た時は全く違う見え方をする。それはまあ、当たり前の事で、肉眼で見るという事は絵画のようにすべての目の前に広がっている光景に、同時に焦点を合わせられる訳ではないですからね。遠くにある一本杉にフォーカスすれば、当然他の風景はぼやける、というかハッキリ認識しようもな
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2016年08月21日 09:00
一つの所に留まって何かを積み上げてゆくのではなく、何度でも環境を換え続ける。その環境とは、仕事であったり、人間関係であったり、所属するコミュニティであったり。その身振りは、傍から見ると場当り的に見えたり飽きっぽく見えたりする事もあるのかもしれないですけど、本人はいたって真剣なのですね。こういうスタイルの中の一部の人に関してという事ですが・・・・・自分とは何者であるのか見い出そうとしている、自分の可能性を確認しようとしている、そこには少し強迫的な想いや、なんらかの焦りのような感情も多少は感じている場合もあるように思います。新たな環境を選択して、自分なりに頑張ってみて、しっくりこない事を感じると、
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2016年08月19日 21:07
僕らは・・・・というか僕は、という言い方の方が適切のでしょうが。まあいいです・・・・過ぎていった日々を振り返った時、思う事は、経験?出来事?たぶんそれは人生という言葉で言い表されるものという事なのかもしれませんが、その人生というものは、なにかこう、とり返しのつかないものの連続体として形作られているのではないか、という事は、実感として、僕らにとって唯一確かな事として、あるように思います。成長過程において、いつの間にか「これが自分である」という意識が芽生えた瞬間から、取り返しのつかない経験の日々に絡めとられ始める、それは自分の意思に反してという事なのかもしれないけれど、そうあり続けるしかないように
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2016年08月19日 08:32
炭酸飲料というのは、沢山の種類がありますけど。どうなんだろ、飲んだ時に「美味しい」と感じるかどうかという基準で冷静に味わってみた時に。ファンタグレープ、メロンソーダ、昔あったファンタゴールデンアップル・・・・・たぶん、飲んだ時にフルーツを感じられるものであれば、それはフルーツの美味しい味に炭酸の刺激が混ざり合うのでしょうから、多分これはチビチビ味わいながら飲んでも、美味しいという事になるような気がします。ジュースというのは、歴史的には果物の果汁を絞ったものだったのでしょうから、まあ、グレープ・メロン・ゴールデンアップルという果汁を連想させるものは、美味しく感じるのは当然なのかもしれないです。そ
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2016年08月18日 21:40
「自分には自分の考えがあるように、相手にも相手の考えがある」とは、相手を尊重するべき時に言われたりもします。この場合は少なくとも、自分の事は尊重できている訳ですね。だから、これは置いといて・・・・・・・。「相手には相手の考えがあるように、もしかしたら自分にも自分の考えがあってもいいのかもしれない・・・・・・そんなに人に合わせすぎなくても、いいのかもしれない」少しづつ、こう思えるようになってゆくのも、自分を尊重する為には大切な事なのかもしれません。
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2016年08月17日 09:25
思った事をそのまま口にしないで済むという事は、その自分が思った事を監視している誰かというのが、いるという事なんですかね。この場合、監視しているのが本当の自分である、という認識になるのかもしれませんが、僕はこれは逆なんじゃないのかな、と思っていて。というかそう感じている方っていらっしゃると思うんですけど。口にしてはいけないような言葉が芽生えてくる場所というのが、本当の自分で、それを監視して実際に発する言葉を選別しているのは、単なる、社会に適応しようとしている自分。イメージとしては社会に適応しようとしている自分が広場の隅に塔のようにそびえ立っていて、その塔に対して小さな本当の自分達が何百人もの大人
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2016年08月15日 20:38
きれいごとを排除した時「世界は、親切と文字通りの陽性の愛と、そして嫌悪という名の陰性の愛で出来ている」自分の感じる世界は、という事なので、要は自分の精神的な世界は親切と陽性の愛と陰性の愛で出来ている、という事になるのでしょうか。陰性の愛と言うのは、意識していない時は、というか衝撃を伴った特殊な経験をした事のない多くの人にとっては、そうそう意識されるものではないとは思うのですが。まあ、優しいだけの人が不気味であるように、陽性の愛だけを振り撒いている人というのも、なんか・・・・なかなかどうして、というか、人の本質としてはそんなことはあり得ないのだろうし。もしそれが可能なのだとしたら、昔は陰性の愛に
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