神奈川県藤沢市城南 東海道線沿線のカウンセリングルーム。辻堂駅より国道一号線方面へ徒歩12分。10:30~21:00、年中無休。


記事のアーカイブ

2016年09月07日 08:54

食を拒むーー食べないという事ー

今くらいの時期でも、うすら寒く感じてしまう時もあったりして。そんなふうに感じる時というのは、大抵、気がつくと朝に食パンかじっただけで、その後なんにも食べずに気が付けば夕方過ぎ、みたいな感じの時なのですが。そんな日が何日か続くと、それはやっぱり確実に痩せます。今は滅多にないですが、昔はそんな日常が延々と続き、体脂肪率が2%という、体脂肪計壊れてんじゃないかと疑ってしまうような事もね、当然その後慌てて食べて体重を元に戻すという事を何度か繰り返しましたが。僕の場合は神経性無食欲症という事ではなく、どうしても食を疎かにしがちになってしまう。「いや、なんか食べそびれちゃってさ」とかヘラヘラ言い訳しながら

—————

2016年09月06日 09:38

あくまでも「嗜癖」ではない場合

褒められたり認められたりした時、全ての人がそれを嬉しいと感じるかというと、そういうわけでもないように思います。ソッコーで否定したくなってしまう人、なんとなく寂しくなってしまう人、一人になってしまったようにも思えて孤独を感じてしまう人、こういう人もいらっしゃいますね。認められるという事は、相手から「あなたは一人前」と言われる事なのかもしれなくて、それは「頼っちゃダメ」というメッセージのようにも思えてしまう。まだ相手に守ってもらいたくて甘えていたくて、庇護のもとで安心したいと・・・・・・・十分に甘えさせてもらう経験をしてこなかった場合には、これは無理もない、当然の想いですね。それを許容してくれる相

—————

2016年09月05日 21:51

欲望を覆い隠す

人は欲望を覆い隠すために、話す・・・・・のか。それには二通りの話し方があって、タテマエを綺麗に理性的に話す、で、了解されない時、もしくは「そんなタテマエはいいからさ」と投げかけられた時、意を決した態度と共に、ホンネを話す。タテマエにしてもホンネにしても、それらの言葉が生み出された場所は一緒で、そこは自身の「欲望」という場所、欲望はさまざまに形を変えますしね。ああ、もしかしたらもう一つ、メタフォリックな話し方というものあるでしょうか。欲望をあちらこちらにちりばめた言葉を、隠喩の嵐で何重にも覆い隠して、これは欲望を覆い隠すのには効果的ですが、難点は、とにかく伝わらない、という事ですね、そしてそれが

—————

2016年09月04日 09:05

マスカレードな人生

フツーに言いますね「キャラを脱ぎ捨てて、仮面を脱ぎ捨てて、自然体の自分で、本当の自分で」まあ、キャラでも仮面でもどっちでもいいんですが、仮面の方が分かりやすいかな・・・・・じゃあ、仮面で。自分が産まれて、はじめは仮面なんかかぶってないですね、言葉がまだ理解できないうちは、そこでは文字通りの自然体、ただの生命体でいるしかない。そして、少しづつ神経系が充実してくるに伴って、成長に伴って、言葉が理解できるようになり、喋れるようになり、これは言葉で思考出来るようになるという事でもありますね。そういう時期に、鏡の前に連れてこられて「ほら、これが〇〇ちゃんだよ、かわいいね」と言われた瞬間に、これが自分とい

—————

2016年09月03日 09:22

環世界

環世界(環境世界)・・・・・全ての動物は種特有の知覚世界を持っていて・・・・・・みたいな概念。これって結構、個々の人間が自分の職業でもライフワークでも趣味でも、なんでもいいんですけど、一つの事に目標を定めてとか、一つの事に夢中になって極めて、自分の存在価値をそこに見い出している時とか、自分とはこういうものであると自信を持って言い切れる時、要は何かに同一化している時。街中を友人同士で歩いていたとして、職業は整体師と板前さんとデザイナー、同じところを同じように歩いているとしても、整体師を職業にしている人は前を歩く人の背骨の湾曲具合が気になるのかもしれないし、板前さんは八百屋に並べられている野菜の鮮

—————

2016年09月02日 08:57

「やっちまった感」いつか振り返った時

最後の方のいつかに人生を振り返った時・・・・・なんて事を先日書いてしまったので、どうもそのフレーズが頭の片隅に居座っているかのよう。この、最後の方のいつか、というのは、うん、まあしょうがないですね、誰にでもくるのでしょうし、ヤダけどね。で、そのいつかの時に振り返る時間を感慨と共に持てるのは幸せな事なのか、それとも走り続けている途中で、という事の方が幸せなのか。どっちにしても、後悔のないように・・・・みたいな事に落ち着いてしまうのだろうけれど。後悔のないように日々を、と常日頃から考えられるようになるには、いつか終わりが来るという事を、しっかり受け入れ続けなくてはいけないのかもしれなくて、でも、そ

—————

2016年09月01日 09:14

一旦は打ち捨てられる父親

以前テレビで放映していた、あれは、スバルのCMだったでしょうか。父親に反発する息子、その息子に腹立たしさや戸惑いと共に苛立つ父親。息子はその後自立して家を出たのち、一人前になって実家に戻ってきて、最初は気まずさもあるのだが、時間と共にスバルの車を通じて和解してゆく、長い時間を経てお互いを認め合うことができたかのようで・・・・・・。今は受容し合う優しい父息子の関係も多いと思うのですが、そうなんですね、こういうCMのような経験というのは、あってもいいと思います、というかあった方がいいのかな。本来は、息子という事なのでしょうが、今の時代は場合によっては、たとえ娘であったとしても。自立前後の子供にとっ

—————

2016年08月28日 20:54

光が消えた時

「もう、消えてもいい」「自分なんか、なくなってもいい」今まで生きてきた中で、そんな事は一度も思った事はなかったのに、こういう想いがふいに湧き上がってきてしまった。あくまでもーー今まではこんなふうに思った事はなかったーー初めての感情であるというのが前提ですが。良かれと思ってやってきた事、頑張ってきた事、自分の価値観で行動してきた事・・・・・・・・・等々、希望が想いが、光が消えた時。喪失感や無力感や後悔の念に苛まれている時という事なのかもしれないですね。自分なりに考えてみても、なかなか出口は見つからなくて、嵌まり込んでしまって、そうなるとより一層悪い方に考えてしまうというのは自然な事ですし、過ごし

—————

2016年08月28日 10:02

精神を構成する要素として

身体と精神、他人が身体に勝手に侵入してくるという事はまずもってないのでしょうが、精神に侵入してくるという事は日常茶飯事であり、それは当たり前の事でもあるように思います。数時間前、数日前、数か月前、数年前でも数十年前でも、会話の中でであったり、目撃した情報や光景であったり、お互いの人生のすれ違いざまに投げかけられた何気ない一言であったり・・・・・他にもいくらでもありますね。不意に表象され、戸惑ったり、物思いにふけったり、メランコリックになったり、勇気が湧き上がってきたり。自分に侵入してきた他人の言葉という、言ってみれば他人の代替え物、その言葉が想起される時、瞬時にその言葉を発した他人の顔や仕草や

—————

2016年08月27日 09:01

情景

「君の名は」の描写は、とにかく美しいですね。日常に追われているうちに、いつの間にか自分にこびりついてしまったなにかがスッと洗い流されるようにも感じます。想像的なものに何かを加味した結果、リアルを超えてよりリアリティが増しているようで。一旦分節して、その上で何らかの要素を加算して・・・・・・というか僕は芸術的な才能がないのでよく分からないのですが、でもとにかく美しい事には違いない。言語によって分節した上で、分節以前のものを加味して・・・・言語によって分節した上で、言語以前のベールで被う・・・・言語によって分節した上で、言語を排除したらどう映るかという創造・・・・なんとなく、加味されている要素は、

—————