記事のアーカイブ
2016年08月14日 09:43
人と人との間で、意味が確実に伝達されるコミュニケーションというのは、不可能ですよね、やっぱり。多くの場合、相手は聞き取りはしたのだけれど真意は伝わらなかったりとか、誤解や曲解を伴ったりとか、言葉の裏を読もうと躍起になったりとか、究極的には闘争や混乱を引き起こしたりとか・・・・文脈を辛うじて共有していたとしても、こんな感じ。ビジネス上は理性的論理的な情報は伝わる可能性が高いのですかね、業務上という文脈を一応は共有して、同じ方向を向いている訳ですから。伝える方の問題、受け取る方の問題、どちらもあるのでしょうが。ーーでも根本的には言葉の性質上の問題というのが一番大きいのでしょうかーーあまりにもメタフ
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2016年08月14日 09:42
みんなと同じ事をやるのが楽しい。自分のやりたい事をやるのが楽しい。自分のやりたい事とは何かと考えた時、それはみんなと同じ事をやる事。自分のやりたい事とは何かと考えた時、それは人と違う事をやる事。自分のやりたい事とは何かと考えた時、それは自分のやりたい事としか言いようのない事、だから周りの目は気にならないというか、そういう感覚すらない。・・・・・どれも全然間違ってない、というか人それぞれの価値観というだけの事なのですね、あまりにも極端に片寄り過ぎなければいいだけ、偏り過ぎると、それは不安のもとにもなってしまう可能性があるますしね。多くの人と価値観を共有し続ける事に喜びを感じる人もいれば、独自の価
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2016年08月13日 09:00
「他者」という言葉は、あちらこちらで、さまざまに定義されます。・・・・・自分にとっての他者とは、いったいどのようなものなのか、と考えてみた場合に(あくまでも今の時点で自分にとっての、という事ですが)。狡猾なもの、姑息なもの、猜疑心の塊のようなもの・・・・・と書きだしてみたものの、これは排除の対象ということですね、だから他者ではないです、ただ自分がこのものは他者であると認識する事によって、自分の意識の外に追い払いたいだけ。その証拠に、この対極に位置しているのが、自分や自分の一部であるかのようにみなしている人で、それは上記のような他者に苦しめられている人、そう、そういう人は自分の一部のように感じて
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2016年08月11日 09:07
テレビのある番組を観ていてふと「満腹=幸せ」から連想した事。摂食の場合はそれでいいのでしょうね、腹八分目でも満腹でも人それぞれなのですから。でもこれ、摂食は置いといて「満たされ感=幸せ」なのかと考えると、なにもかも満たされて幸せを感じてその幸せに浸り切って慣れてしまうと「幸せ=不幸せ」みたいに感じてしまう場合もあるのか、どうなのか。満たされている満足していると感じて、幸せを実感して。そうするとそれは何も不足していない状態という事なのでしょうから、何も求める必要がない訳で、そこでは欲望が排除される。欲望がないという事は、敢えて自ら行動を起こす必要もなくて、そうなると特にやる事もなくて、退屈する、
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2016年08月10日 08:42
最近ちょっとだけ思う事。夢や希望を持つという事は、その夢や希望に向かって行動を開始するという事にもつながって、もしそれが叶えばいいのだろうけれど、そこには失敗や挫折を経験する可能性だってあって。その挫折はもしかすると絶望につながってしまうのかもしれない。夢や希望が一旦断たれる訳ですからね、まあ、また何度でも立ちあがれば・・・・という考え方も勿論ありますし、この文脈はナルシシズムに基づいてさまざまに語られます。逆説的ですが、夢や希望を語らなければ、絶望とも無縁でいる事ができる。うーん、なんとなくこれも否定できないとうか、そういうゆったりとした生き方があってもいいようにも思わないでもないです。夢や
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2016年08月09日 09:04
ポジティブ、ネガティブ、こういうのはなにか言葉が先行しがちというか。人生のどこかのタイミングで、自分はネガテイブであると認識した瞬間に、その「イメージとしてのネガテイブ」というフィルターで内外を見るようにならざるをえないというか、そういう面も場合によってはない事もないようにも思わなくもない、です・・・・・と、いつも通り歯切れが悪い訳ですが。肯定的な言葉を差し出され続ける、否定的な言葉を押し付けられ続ける、心理を扱う文脈で言われるポジティブストローク・ネガティブストロークみたいな環境に置かれているという事もあるとは思うのですが。まあ、それはおいといて・・・・・僕は門外漢ですが、このポジティブ・ネ
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2016年08月08日 09:49
大正時代や昭和初期を舞台にしたドラマを見ていると、なぜかそこに描かれている人達は、皆充実していて情緒豊かであるかようにも見えてしまいます。何をする時でも目の前の一つの事だけを見つめて、じっくり集中して楽し気に取り組んでいるようにも見えてしまう。ーーでも、そうは言ってもドラマ的な表現ですから、シミュラークルみたいな言葉を連想しないでもないのですが--家事・育児・仕事・移動手段・・・・・それに費やす時間が多くならざるをえない、便利なものがあまりなかったから、1人がこなせる労働も限らてていて、でもそんなことは当たり前の事で、機械以前・機械以降、電子機器以前・電子機器以降。家電・PC・自動車・各種サー
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2016年08月06日 08:42
恋愛関係において、自分にだけ見せてくれているように思えるもの・・・・それは意外な表情であったり、ちょっとした仕草であったり。そして、自分のそんな思いを後押ししてくれるかのように「あなただからこそ、素直な自分でいる事ができる」と開示される。その時、自分だからこそ相手から引きだす事ができた、まるで芸術作品的な魅惑さを纏った、日常から切り取られた一瞬一瞬のかけがえのない表情や仕草であるかのような・・・・・言ってみればアウラにも通じる何かのようでもあり。こんな時にたぶん、男性のみなさんは大きなプライドに酔いしれる事ができるんじゃないでしょうか。
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2016年08月05日 09:16
「自分はあの人にそっくり、そんな自分がヤダ」そっくりだと思っていても、多分これは近視眼的になっているからであって、ちょっと離れて冷静に見てみると、勿論似た部分はあるのでしょうが、そっくりではないはずです。自分の全ての特徴から、あの人の特徴を引いた後に残る部分。そこには思慮的な自分であったり、自身を省みる力であったり、優しさを提示したいという秘めた思いであったり、孤独を知っているが故に他者配慮的である事ができる自分であったり・・・・・数え上げればもっともっとたくさんのものが発見できるのだと思います。なにより、ヤダと思えるという事は自分を見つめる力が備わっているという事ですし、そしてそれはあの人に
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2016年08月03日 09:34
「変わらくちゃいけない」で、気合いと根性で理論を叩き込んで行動して、ゴリゴリ変容を遂げてゆく人を・・・・・僕は見た事はありません。特殊な状況下、自分と真摯に向き合った中で、普通はなかなかできないであろう努力を忍耐強く重ね続ける人というのは極わずかですが知っています。やっぱり難しいのは「変わらなくちゃいけない」と思うという事は「今の自分はダメ」という事に直結する訳で、そんなような自分に対しての全否定みたいな事は、自分の根底の部分からすると、ちょっと納得いかなかったりもするんじゃないでしょうか・・・・そうですね、これだとちょっと自分の根本がかわいそうなような気がします。頭では否定しても、自分の奥の
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