記事のアーカイブ
2016年06月20日 19:25
僕らは通常、環境に適応する為に理性や気遣いによって言葉を選んで話します、また、考えすぎたり選びすぎたりして話せなくなる事もありますね、心の奥の方から湧き上がってきそうになる言葉(本心?)はなるべく抑えながら。そこは通常はなるべく自分でも見ないようにしている部分であったり、もしくは認識していても誰にも悟られないようにしている部分であったり。目を向けると、実際に選んで話している言葉とのギャップに葛藤が芽生えてしまう事もあるかもしれないのですから。時には「なんのフィルターも通さずに自分の口を突いて出る言葉を自分が聞く」という経験も新鮮でいいと思います。気遣いの外側で、世間体等も排除した中で、自然と自
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2016年06月19日 09:33
群生している紫陽花を前にすると、その紫陽花をかき分けて、葉や茎や根の辺りに小人がいないか探したくなる衝動に駆られる事ってないですか?え~と、なんですかあれ? アリエッティみたいなやつ・・・・・・七人の小人とかでもいいですけど、なにかそう言ったファンタジーに通じるものがあるように思います、紫陽花って。さまざまな色や形がありますしね、パステルカラーのグラデーションっぽいやつ、まだ小さなみずみずしいやつ、花火を連想させるガクアジサイとかも。 多くの紫陽花を前にしてきょろきょろと長い時間見ていると、日常から引き剥がされるような感覚になってきて、そしてそれは綺麗な色の作用なのだから、やっぱり小
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2016年06月18日 09:37
身近な二者関係の中で、一人は責める一方でもう一人が受ける一方、こんな関係ってあったりしますね。受ける方がそれで納得できている場合は、もしかしたらいいのかもしれませんが。責め方も色々ですよね、文字通りの攻撃であったり、時には弱ったフリをして要求を通そうとしたり、なだめすかしたり、精神的に追い込んだり・・・・・受ける方はもう揺さぶられっぱなしになってしまいますね。責める方にしてみると、いつでも自分の感情を受けてもらえる訳ですから、自分にとって必要な存在であるという事には間違いないのでしょうが。受ける方もすべて把握している中で耐えているような場合もありますし、そうではなくて、徐々に精神的に追い込まれ
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2016年06月17日 21:00
なにか、解消した方がいいと思っている事とか、解決のためにアクションを起こした方がいいのかもと思っている事とか、環境や状況や八方塞がり感とか・・・・・・そういうのを感じている時というのは、その状態もしんどいですけど、直視する事だってやっぱりしんどいです、どっちもしんどいですよね。やっぱり気になって直視してしまいそうにもなるんだけど、できるだけそこには靄をかけて白くうっすらと覆って、なるべく見ないようにする、でも、やっぱり苦しいことは苦しいし不安もつのります。そういう状態ってありますよね、僕だって何度もありましたし、こういうのは気合いとか根性とか精神力とか、そんなの関係ないです。そういう時は、その
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2016年06月17日 09:37
浜辺で見つけたシーグラスに心動かされる場合もあれば、波に洗われた手触りのいい白い小石に愛着を感じる場合もあるし、ダイヤモンドに心を満たされる場合もあります。ーーこの3つは、文脈によっては同じ所でフラットに並んでいるもののように思いますーー惹きつけられるものとは、自分を映し出せるもの、自分を映し出せるからこそ愛着を感じて、目が離せなくなるのですね。光にかざすと、とてもきれいなシーグラスに自分を映し出す時「さまざまな経験と共に穏やかに丸みを帯びて、不要なものをそぎ落とし、本当に自分が大切にしたいと思えるものに気が付いた自分」・・・・・言葉にしないまでも、心の奥の方ではという事ですが。こういった想い
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2016年06月17日 09:36
なにか問題を解消しようとする時、まずは情緒的に安心しないといけないですよね、不安定な中だと「どうしよ、どうしよ・・・・」にもなってしまいますし、その中で出した答えというのは、僕自身も経験ありますが、そう、後から冷静に考えると「なんでそっちに行くかなぁ・・・・」ということが殆どのようにも思います。心の中が、風船パンパン膨らませた時のように張りつめているわけですよね、焦りや不安に代表されるようなさまざまな感情で膨らんで本質を覆い隠してしまっているとも言えるのかもしれません。吐き出せるものは吐き出して、心の緊張がとれてくれば、嵐が去って本質が見えてくることもあります。まずは情緒的に安定してからではな
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2016年06月15日 09:32
ちょっと思ったんですけど。仰向けに寝そべって、目を閉じて、自分が聞いた事の無い全く意味の分からない外国語で優しく愛を語る詩を意味を理解しようとしないで、ただの音として聞く。これって多分、意味を何とか理解しようとか一切考えないで、ただ聞き流せば、優しい音になにか癒されるように感じたりするのか、どうなのか。ポイントは、寝そべる、意味の分からない言葉(ただの心地の良い音)、優しい語りかけ、意味を意識しない、この辺りだと思うんですけどね。これって、言葉を理解する以前の段階で、養育者から優しく語りかけられ続けていた乳児期の自分の状態に近いのかな、なんて言う事をチラッと考えてしまいました。聞き流さなくては
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2016年06月14日 09:34
いつまでもそばにいたいように感じる柔らかな雰囲気。実際には匂いはしないのだがその人から伝わってくる体温というか、香りのようなもの。何故か懐かしさや安堵を感じるようにも思える笑顔や柔らかい話し口調。その人を思う時、顔全体は上手く思い起こせなくて、思い出すのは笑っている時の目尻であったり、口元からチラッと見える白い歯であったり。お互いがこんなふうに感じている中で付き合いだすと「なんか昔から知ってるみたいだね」みたいな話になったりもしますね。
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2016年06月12日 09:24
信号で車を停車させた時、ふと道路わきの公園に目をやると、日当りのいいベンチに、ちょこんと小さく腰かているおばあさんを見かけ、なんとなく寂しい気持ちになりつつも、信号はまだ変わらないだろうかと視線を前に戻した時、点滅しだした横断歩道を小走りに渡ってゆく、子犬を散歩させている人・・・・・・信号が青に変わり、時間に急かされている自分はもう一度おばあさんを横目に見てから車を発信させる。その夜に見た夢として・・・・・現在の自分はビルの谷間のアスファルトの上を、なにかに急かされるように歩いているのだが、何の気なしに右に視線を向けると、そこは何故か自分が子供の頃を過ごした小さな家の裏手にある狭い庭先で、子供
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2016年06月11日 20:54
ふとした瞬間に何の前触れもなく湧き上がってくる、暴力的に刺し込まれた言葉という経験。そしてその湧き上がってきた言葉が引き連れてくる屈辱の数々。無防備な中で衝撃に晒され、戦慄を覚え、心が凍るような想いや血が煮えたぎるような想いもあったのでは、と思います。これは本当に腹の立つ、悔しい、やり場のない想いですね。ゆっくり語りながら、攻撃者ばかりではない事、自分に落ち度があった訳ではない事を何度でも確認し徐々に弱毒化してゆく事、肯定感のもと葛藤や無力感から怒りへ、そして勇気に変換してゆく事。自分を保つために、とても大切な事ですね、いきなり全てを直視すると余計辛くなるので、何度でも確認しながら様子を見なが
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