記事のアーカイブ
2016年05月20日 09:01
常に単一の主体であろうと努力し、自分はどう考えるか、自分はどうしたいか、自問自答、内省を欠かさない。大きな葛藤の渦に飲み込まれ続ける事になるのでしょうが、現実的な事態に直面し続けている自分という、確かな実感を得やすくもあるのでしょうか。状況を俯瞰できる能力に長けた方もいらっしゃいます。逆に、日々晒され続ける負荷からの心的な防衛として、心の中の一部分に部屋を作り、その部屋の中に住まわせた自分の代理人?解離した人格まではいかないまでも、それに準ずるような強めのキャラ?なにかこういったような一つの人格のようなものに日々の負荷に対応させ続け、主体はそれに関与しないのか、自動的に対応させるのか。葛藤を解
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2016年05月18日 09:07
「プライドなんか脱ぎ捨てよう」などという事が改善につながるのかというと、決してそうとばかりは言えないと思います。ーーまあね、想像的な領域で「プライド脱ぎ捨てプレー」ならそれはそれで否定しようとは思いませんけどーーむしろなんの準備もなしに、もっと切実な領域でいきなりそんなことをしたら、人はとても不安定になるんじゃないでしょうか、自分を保つ術を失ってしまうのですから。最後の最後で、どうしても守りたい部分というのは誰だってありますよね。だから小出しにしたっていいんです、開示できる部分を少しずつ、そしてどうしても守りたい部分は秘めたままにしておいたっていいんです。「プライドを脱ぎ捨てる」ではなく「プラ
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2016年05月17日 17:13
どういう人に対して無条件で優しく接したくなるのか。それは多分、自分が過去に味わったネガティブな経験と同じ経験を今現在している人に対して、という事なのかと思います。たぶん、共感もなにも関係なく、ただただ無条件で優しくしたいと思えるんじゃないでしょうか。今、辛さの真っただ中にいる方、当然今現在辛い訳ですよね、今まさに経験しているのですから・・・・当たり前の事を言ってしまってすみません。いつか渦中を脱し、乗り越えた先に待っているのはーーかつての自分と同じ経験をしている人に自然と優しくなれる自分ーーという自分なのかなと思います(自分の経験を押し付けるだけというのは、また違うと思いますが)。「人の気持ち
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2016年05月16日 21:10
アドバイスという名の利己的な想いで相手を拘束しない。期待という名の足枷を相手に嵌めない。「あなたのため」という名の枠(命令)で相手を規定しない。「自分の経験では」という名の自己流解決方法を相手に押し付けない。親密になればなるほど、自然と相手と精神的に循環してきて「あなたの為を思って」という言葉に変換されながらなされるもの・・・・・。もしかするとその時、相手は少しだけ窮屈さを味わっている場合もあるかもしれませんね。関係が深まれば深まるほど、これはおせっかいではない人でもーーもちろん良心に基づいてなされる訳ですがーー結果的に、自分の想いを相手に押し付けてしまっているというのは、ない事もないのかもし
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2016年05月16日 10:24
人と違う言動をする事に自らの価値を見い出そうとし過ぎると、あまのじゃくに行きついてしまうかもしれない。みんなと同じという事に自らの価値を見い出そうとし過ぎると、自分を見失うという所に行きついてしまうかもしれない。このどちらも価値の無いものとして閉じた選択を続ける時、孤高の存在に行きついてしまうかもしれない。・・・・・行きつかないようにバランスを取れれば、どれもありですよね。
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2016年05月16日 10:22
社会に張り巡らされたシステム、共同体内のシステム、(成立するとして・・・)家族システム。日々、さまざまなシステムに守られ、安全を保障された中で当たり前のように暮らしています。そういった、自明としてそこに存在しているシステムから、何の前触れもなく拒絶され放りだされたように感じた時。唖然とし、途方に暮れ、そして身の置き場のなさに絶望するでしょうか。なんとかして、自分を保つ方法を考えなくてはいけないですね。強くあるためにも、一人ではいないほうがいいように思います。ルサンチマンにはならないように・・・・・。
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2016年05月14日 09:34
考えてみれば、試行錯誤とかトライアンドエラーとか、自分が納得いくまで、何度でも繰り返しながら、より良い状況を造り出そうと思ったり、問題を解消しようと思ったりしながら、多くの人が日々を過ごしていくのでしょうね。そんな中で、そのやり方自体が分からなくなって迷ってしまうという事も、人生の一時期にはあります。混乱して、それでも考え続けて、考えるのが嫌になりながらも考えるのをやめられなくて、意識や思考に白く霧がかかったようにも感じたり無力感に浸ったり、またその状態を称して「自分が空っぽ」とか「自分が分からない」とか「閉じていたい」とか「力が入らない」と表現する事も。霧がかかったらその霧を払う、まずは心身
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2016年05月13日 09:31
一人で考えると不甲斐なさに肩を落とすことも、だれかと語ると勇気に変換できるかもしれない。一人で考えると悲しみに打ち震えることも、だれかと語ると自信に変換できるかもしれない。一人で考えると悔しさにいてもたってもいられなくなることも、だれかと語るとプライドに変換できるかもしれない。一人で考えると不安に押しつぶされそうになることも、だれかと語ると肯定感に変換できるかもしれない。一人で考える事も勿論大切です、でも、ある程度内省した後には、語る事で有意義なものに変換していって下さいね。
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2016年05月12日 23:02
人生の目的って何だろう?な~んて大袈裟な事にふと考えが及んだ時に思うのは。まあ、目的って言うのは自分で見出すしかないのだろうけれど、見い出すというか、ある程度はこじつける、というか自分を納得させる、みたいな要領的な事が必要なのかもしれない、なんて事を少しだけ思ったりもします。自分が今までどんな事を嫌悪して、どんな事を欲望してなにを目的に生きてきたのかと顧みた時に思うのは。世間体を排除したいとか、自分独自の方法で何かをやり遂げていきたいとか、人と違うものを求めていきたいとか・・・・・なにかそういった一般的には面倒くさいものを求める事に自分の価値を見出そうとしているようなね、そんなところがあるよう
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2016年05月12日 09:14
思いやりがある、明るいムードメーカー、優しい、穏やか・・・・・、その人の性格のようななものや人となりを言い表す時に使われる言葉ですね。もちろんこういったものは、その人の魅力を言い表しているには違いないと思うのですが、人は環境に適応しながら自らを形成しつつ生き延びる、と考えた時。もしかしたら性格というものすらも、生育環境や所属してきた共同体から与えられ続けたものを自分なりの仕方で理解し独自に創造し続けてきた、と言えない事もないのかもしれない、という事を思い知らされる機会が、よくあります。(環境と自分との間の相互合意のもとで、という事なのかもしれませんが)形成されてきた性格という覆いを(これは勿論
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