神奈川県藤沢市城南 東海道線沿線のカウンセリングルーム。辻堂駅より国道一号線方面へ徒歩12分。10:30~21:00、年中無休。


記事のアーカイブ

2016年04月27日 09:28

生きている実感

今いる場所が安住の地なのか、と自分自身に問い正してみる。安住の地というのは、自らが理想とする場所とも言えるのかもしれませんね。今いる場所が、理想的な場所なのであれば、安住すればいいのでしょう。・・・・・・自分なりの理想があるとして、その場所に向かって自らを突き動かす要素は。野心? 欲望? 生きているという実感や充実感?なにか、そういったような、とても大切でとても人間臭いもののような気がします。理想が叶いそうになると、又その先に新たな理想が見えてきて、そしてそれがまた叶いそうになると・・・・。これを繰り返すという事が、生きているという実感につながるのでしょうか。時代によって微妙に形は変えるのでし

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2016年04月26日 09:47

存在の証

小言を言われながらも、注意指摘されながらも、なんとな~く尻拭いしてくれているような。怒られているようなんだけど、上目遣いでチラチラ見てみると、なんかその人、怒りながらも生き生き、というか甲斐甲斐しく、というかテキパキと、見ようによっては生き生きと嬉々として、面倒見てくれてる・・・・の?って事は今のこのありのままの自分的なものも、そう悪くもなくて、受け入れてもらえちゃったりもするのかな。それはそれで、なんか行為を否定されつつも存在は肯定されているような気もして、試しにもっと小言を言われるような事をやっちゃってみようかな、と。で、実際にやってみたら、やっぱり強烈に小言は言われるんだけど、よ~くその

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2016年04月24日 21:04

湯船の中にて

ところで、僕は小学校入学前に伊東から藤沢に引っ越してきた訳ですが、たぶんあれなんでしょう、45年位前の両親の中に、湘南とか加山雄三さんとか裕次郎さんとか、そういったイメージがあったんじゃないのかな、父の勤めていた会社は横浜だったし、でも横浜に引っ越さないで藤沢にという事は、まあそんなような理由だったんでしょう。引っ越してきてまず初め、なにが嬉しかったかって、風呂が家にあって、水洗トイレがあって、伊東の時は風呂はなくて銭湯に一日おきくらいかな、行っていて、トイレも汲み取りだったしね、で、僕はその汲み取り便所にズッポリ落ちた事がある訳ですが。小学校何年生くらいまでだったでしょうか、父と一緒にいっつ

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2016年04月24日 09:37

ホンネとかタテマエとか

ホンネやタテマエと言うよりは、なんだろうな・・・・・。複数人が集まって会話している時、自然と発生した空気感に各人が合わせていくかのような。主役はあくまでもその場の空気感であって、だから主従関係で言うと空気が主で人は従、人はその時空気を支える存在でしかない。その空気感を壊さないように言葉を選択して発言し続ける、空気感が新たに選択されるべき言葉を生み出して、その言葉がまた新たな空気感を生成する、各人はその空気感を常に敏感に察知し続ける、これを延々と繰り返すという空気が空気を生成・言葉が言葉を再生産し続けるコミュニケーション方法、あたかも再生産し続ける事自体が目的かのような。これは一体感や相互承認と

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2016年04月23日 21:09

ダブルスタンダード

学校を卒業して、自立して、社会人になって、どんどんスキルアップして出世して、結婚して・・・・・・・・・・、と延々と続く、昔から頑固に存在する価値観というのは、未だに有効な場所と、そうでもない場所と、どっちもあるのでしょうか。学生の時は、自分を活かせること、やりたいこと、なりたい自分、こんなような事も言われ続け、そういった価値観をインプットされながらも、成績表とか偏差値とかテストの点数とか学年で何番とか、って言うのも今でもあるのかな?...

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2016年04月23日 08:50

悔しさをバネに

悔しさをバネに、理論武装する。そして、滅多な事では負けない説得力や押しの強さや、行動力のある自分を手に入れる。議論や、交渉の時には、今の自分を獲得する動機となった悔しさというのは、もう封印してしまってもいいんじゃないでしょうか。それが顔をのぞかせてしまうと、逆効果の場合もありますしね。声高にまくし立てるより、落ち着いて穏やかな声で自信に満ちて話した方が、やっぱり信頼も得られやすいのでしょうし。理論や行動力を手に入れたら、もう悔しさは必要ないです、封印してしまった方が尊敬や信頼や人望も得やすいですよね。その悔しさがあったおかげで今の自分になれた、経験に大きな意味を持たせることが出来たと、達成感と

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2016年04月23日 08:47

男だからとか、女だからとか。

・・・・そこには男女という垣根はなく、ただ、人それぞれの問題や葛藤があるだけですよね。男だからどうだとか、女だからどうだとか、精神的なことにそんなのは関係ないんじゃないでしょうか、別に男は我慢し続けなくてはいけないなんてナンセンスな話は絶対にないわけで。僕だって好きで男に生まれてきたわけでもなんでもないし、気が付いたらいつの間にか男というカテゴリーに所属させられていただけみたいなところもあるし、言ってみれば「あっ、こっち?はい、そうなんすか」みたいな、ていうかみんなそうなんだけど。生まれる時に「んあああっ、おとこおぉぉっ」とか自分で念じながら生まれた訳じゃないしね。そして、そうこうしているうち

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2016年04月21日 10:05

上手に甘える(頼る)

一人で頑張り過ぎてしまう人というのはやっぱり、あまり甘えてこなかった人なのかな、というか甘えさせてもらえなかった、と言った方がいいのかとも思いますが。まあ、全部が全部じゃないでしょうけどね。なかなかね、一人では背負いきれないものって現実的にありますし。上手な甘え方みたいなものを、少しずつ実感してみるのもいいと思うんですけどね。ーーただし、自分が認めている人に対してのみ上手に甘える(頼る)というのがいいのだと思いますがーーいつも一人で歯を食いしばっている人だからこそ、手を貸す用意をしながら、遠くから気にかけてくれている人もいるんじゃないでしょうか。手を貸してもらってもいいんだと思えて、少し軽くな

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2016年04月19日 09:39

折れさえしなければ

解決する為に、解消する為に、試行錯誤する。トライ&エラーを繰り返す。何度試しても納得のいく結果を得られなかったりする事もありますから、折れそうにもなります、一人ではなかなかやりきれないこともあります。それでも頑張って自分を保ちつつ、仕切り直しを何度でも繰り返しているうちに、徐々に本質に近づいてゆくのではないでしょうか。失敗は成功のもと、みたいな感じで。アプローチの方法は決して一つだけではないですし。折れなければいいんじゃないでしょうかね、逆に言えば折れそうになったらちょっと休憩して。気合いや根性で何とかなる事と、なんともならない事というのは、やっぱりありますし、叱咤激励とか喝を入れるとか、そう

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2016年04月15日 20:41

顔で笑って心で泣いて

「顔で笑って心で泣いて」という言葉は昔からありますが。実際にたくさんいらっしゃいます、僕らより下の世代にいけばいくほど。辛さを言葉にしているのですけれど、少し冷めた目で自分を見ているかのような身振りでもあるでしょうか。その辛い経験を話せば話すほど、笑い顔になってしまう。その光景を目にした時、人によっては一見するとなにか他人事のように話しているようにも感じてしまう事もあるかもしれません。でも、そうやって笑い顔になってしまうのも、その結果自分の事ではないように話しているように錯覚させてしまうのも、無理もないことであり、自然な表現方法のひとつですね。だって、本当に自分に起きている事として話したら、辛

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